竹内一正
竹内一正 名言・語録11件
「天才だから偉業を成し遂げるのではなく、偉業を成し遂げた人を天才と称するのである。はじめの一歩を踏み出す時には、『天才』という看板はぶら下がってなどいない」
「幸之助がこの世を去った時、一代で築いた松下電器の売上は4兆円を超え、全世界160ヶ国で約20万人の従業員が働くまでに躍進していた」
「一代で松下電器を築いた幸之助の残した遺産は約2500億円と言われるが、流行のファンドや財テクで増やしたのではなく、その90%以上が本業からのものだ。生活はいたって質素で、ヒルズ族に代表される当節のセレブとは大きく違う」
「角型ランプは、幸之助の斬新なアイデアを製品とマーケティングに花開かせた結晶だった」
「幸之助の業績のすばらしさは会社の成長や売上高だけではない。『金儲け』を『哲学』に変えたことこそ一番の偉業と言うべきかもしれない」
「『商売は金儲けにすぎない』と下賤に見られていた時代に、『会社を経営するのはお金のためではなく社会を良くするためである』という使命を掲げた幸之助の経営理念は、それまでの社会通念を変えていく。幸之助は『経営は芸術である』とまで言って、身をもって証明していった」
「松下電器は、最盛期には約3万店の系列販売店を擁する強大な営業力を誇っていた」
注釈:3万店はセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートの合計店舗より多いという
「1950年(昭和25年)、松下電器は初めてクビ切りを行っている。幸之助が決断したその数は567人。中村改革における希望退職の従業員全体に対する割合は7%程度でしかなかったが、この時は、全従業員4438名の約13%に及ぶ、大変な事態だった」
「『失敗とは、成功するまえにあきらめることだ』と幸之助は言う」
「(VHSへの)決め手は部品点数であった。部品点数が少ないほうが安く作れると幸之助は考えたのだ」
「高橋荒太郎は、松下電器の経理制度を作り上げた人物である。それは単に会計帳簿を作るのではなく、経営を見る経理、つまり『経営経理』という考え方だった」
【感想・論評・補足】
松下幸之助は人を大事にする経営者であったが、リストラをしたことがないかといえば、そんなことはない。戦後に人員整理を行っている
経歴(プロフィール)
■竹内一正(たけうち・まさかず)
日本の経営コンサルタント、エンジニア、ビジネス書作家。徳島大学大学院工学研究科修了、米国ノースウェスタン大学客員研究員を経て、松下電器産業(後のパナソニック)にエンジニアとして入社。アップルコンピュータ社にてマーケティングにも携わる。日本ゲートウェイ(株)やメディアリング(株)の代表取締役などを歴任。1957年、岡山県で生まれる