名言・語録・格言

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後藤清一

後藤清一 名言・語録16

三洋電機副社長)

 

「今日に全力投球を!」

 

 

「改善には妥協するな」

 

 

「営業マンの最大のパワーは戦術よりも人間そのものである」

 

 

「よっしゃ!イチから出直しや」

 

 

「人生も事業も、行止まりとわかれ道の連続である。苦しいとき迷いに迷ったとき、よっしゃ!イチから出直しや――の気構えさえあれば、なんとか逆転の糸口は見つかるものだ!」

 

 

「品質はそれぞれの企業の個性であり人格である。何千、何万の商品を作ろうと、その中の一つの商品を見れば、それを製作した企業の人格、個性がわかる」

 

 

「あなたの人生の出来不出来は、誰のせいでもない、あなた自身の努力にかかっている」

 

 

「学閥も門閥もない。ただ、身体を張って懸命に働いた。それだけが自分を支える柱」

 

 

「今日の私が仮にでも成功への道を歩んだと言わせていただけるならば、それは両親への感謝ということを置いて語りえないことはいうまでもない」

 

 

「グチを言わず懸命に働くことの尊さを教えてくれたのは、両親であった」

 

 

「説教されたわけではなく、父は自らよく働き、無言の教訓として、働くことの大切さを私に伝えてくれた」

 

 

「勤勉こそ働く者の最大の財産だと悟ったのは、ずっと後年のことだが、私の胸の中で親の占める位置はだんだん大きくなる」

 

 

「勉強していないビジネスマンの顔には、シミやシワはあっても、ツヤもハリもない。もちろん、自信もない」

 

 

「人の上に立つ人の仕事は、人材を発見し、それを育てて、そして育てた人材に仕事を任せ、大いに力を発揮してもらうところにある」

 

 

「毎日新しいことが起こる。これは神の贈り物である。人間も毎日生まれ変わる。だからあきらめてはならない」

 

 

「『ポツダム宣言受諾』の一句が、稲妻のように私のからだをつらぬく。その一句で、私はすべてを了解した。兵器生産担当者として、私はポツダム宣言受諾が何を意味するかを薄々は知っていた(負けた)」

注釈:1945年8月15日の正午、ラジオの玉音放送を国民は聞いた。しかし雑音が激しかったせいか、この放送で日本が戦争に負けたことを理解できた者はほぼいなかったという。多くの国民が人づてに日本が降伏して負けたことを知る。後藤は玉音放送を聞いて、日本が負けたことを知った数少ない人物である。貴重な歴史的証言といえよう

  

 

【出典一覧】 

『叱り叱られの記』

『こけたら立ちなはれ』

『立ったら歩きなはれ』

『よっしゃ!イチから出直しや』

 

 

【感想・論評・補足】

後藤は9人兄弟の6番目に生まれた。家は貧しく3度の食事も満足に欠く状態で小学校もまともに行けなかった。いくつもの職を転々とした後、創業間もない松下電器に入社。ここから水を得た魚のように活躍し松下電器発展に貢献する。戦後は井植歳男と共に三洋電機創業に参加。同社を大企業に発展させ、副社長に就任。後藤は恵まれぬ環境で育ち小学校もまともに行けなかったが、無類の読書家。そして両親から学んだ勤勉を武器に猛烈に働き、松下電器三洋電機の発展に貢献しサラリーマン人生の成功者となった

 

 

経歴(プロフィール)

■後藤清一(ごとう・せいいち)

1906年~2003年】日本の経営者。三洋電機副社長、相談役。大阪出身。松下電器(のちのパナソニック)創業時代に見習工として入社。戦後、井植歳男の片腕として三洋電機設立に参加した