江口克彦
江口克彦の名言・語録16件
(PHP研究所社長)
「ケジメのくり返しが『徳』を生む」
「やりたくなくても、やらなければならないことはやる。やりたくても、やってはいけないことはやらない。そうした分別が徳につながっていくのであり、その蓄積が徳の積み重ねになるのである」
「『PHPのことば』が松下幸之助の哲学の原点中の原点である。いわば哲学の原液である」
「私は、松下幸之助の思想体系を知ろうとすれば、『PHPのことば』『人間を考える』『21世紀の日本』の3冊を読めばよいといっている」
「松下幸之助は誰に対しても、昨日入ってきた新入社員にも、お茶を運んでくる女性社員にも、電器製品の点検に来た男性社員に対しても、まず、この人は人間としての無限の可能性と価値をもっている、という考え方で接していた」
「松下さんは、とにかく人の話をよく聞く人だった。相手が政治家であろうが、大会社の社長であろうが、ただの主婦であろうが、まったく同じ姿勢で話を聞いた。文句を言う人、反対の意見を言う人に対しても真剣に耳を傾けた。この松下さんの姿勢が多くの人を感動させたのである」
「『あの松下さんが私なんかの話を聞いてくれた』『松下さんを困らせてやろうと文句を言ったのに、心から真剣に聞いてくれた』。どんなに敵対心を抱いていた人でも、部屋を出る時にはみんな松下さんのファンになっていた」
「松下幸之助は、事業の成功が自分の力、努力によるものであるとは、まったく考えていなかった。『今日、松下電器が一応の成功をしたのは、いい人がわしの周りに自然に集まってくれたから』と言うのが口ぐせであった」
「松下幸之助という人を長い間見てきた経験からすると、松下は部下に励ましを与える人であった。部下に誇りを持たせ、部下に感動を与えながら経営をすすめていた。それによって多くの社員、多くの部下の人たちが奮い立ったということが言えると思う」
「一言、ときには一つの動作が、社員に、また周囲の人に大きな感動を与え、やる気を起こさせたという点が松下幸之助の一つの特徴だった」
「私自身、部下を呼び捨てにしたことは一度もない。それは、部下だからということではなく、部下であろうと先輩であろうと後輩であろうと、人格というものを是認するということが、お互いに一番大事だと思うからである」
「私はいまだかつて、と言うと少しオーバーだが、『おはよう』と言ったことはない。部下から『おはようございます』と言われたときに、『おはよう』と言ったことは、まずないと思う。必ず、『おはようございます』と言っている」
「挨拶というものは、上下関係でしているのではなく、その人間に対してしているという気持ちがあるのである」
「私は父に呼び捨てにされたことは、一度もなかった」
「PHP研究所の資料室には、松下幸之助が話した声のテープが約3000本保管されている。全部で約3000時間、一日8時間聴いても一年以上かかる計算になる。そのうちのおよそ半数が社内で話したものであるが、それらがテープ・レコーダーが普及しはじめた昭和30年頃からのもので、しかも話した講話の一部であることを思えば、いかにしばしば自分の考えを話してきたかが分かろうというものである」
「これまでにも松下幸之助を論じる識者や評論家は多いが、22年間松下幸之助のもとでその思想的な仕事をしてきた私からみると、『この人は松下の本を数冊程度、多分この本とこの本しか読んでいないな』とか、『松下幸之助の言動に関して十分な検証調査もせず、一知半解なまま論じているな』とたいてい判るものである」
【出典一覧】
『上司の教科書』
『「きっと芽が出る人」の法則』
『松下幸之助に学ぶ部下を育てる12の視点』
【感想・論評・補足】
江口は松下幸之助から22年間直接指導を受けている。松下幸之助を最もよく知る人物といっていいだろう。松下幸之助を知るには口述筆記された本人の著書以外では、江口の著書を読むのが一番いいだろう
経歴(プロフィール)
■江口克彦(えぐち・かつひこ)
日本の実業家、政治家。PHP総合研究所・PHP研究所社長、松下電器産業株式会社理事、参議院議員(1期)などを歴任。1940年2月1日、愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業