津村重舎
初代津村重舎 名言・語録2件
(ツムラ創業者)
「良薬は必ず売れる」
「良薬は必ず売れるし、社会に貢献する」
出典『ツムラ・革新をしつづける老舗の挑戦』著書:中江克己
【感想・論評・補足】
大宝元年(701年)、大宝律令が制定された時は医薬制度も唐の制度が採用され、それ以来、江戸末期まで日本の医薬界は漢方医薬によって処方されてきた。初代津村重舎が中将湯本舗津村順天堂(後のツムラ)を創業、日本橋に店を構えて婦人用煎じ薬中将湯の販売を始めたのが、明治26年(1893年)である。しかし、明治後期になると医療業界は全面的に西洋化が進み、明治政府が西洋医学偏重の医療政策を打ち出す。これにより西洋医学と新薬が大勢を占め、漢方の医薬は片隅に追いやられる。だが、初代津村重舎は「良薬は必ず売れる」の信念のもと様々な製品を開発し、漢方を守り続ける。2代目津村重舎も初代の意志を引き継ぎ『漢方の復権』に尽力する。そして1976年(昭和51年)、3代目社長の津村昭の代で、ツムラが研究開発した医療用漢方製剤が薬価基準に収載される。それまで家庭薬として漢方薬局などから買い服用するだけだった漢方が、病院や医院の医師が患者に保険薬として使えるようになった。初代津村重舎の思いは3代にわたり引き継がれ『漢方の復権』を見事に果たす
経歴(プロフィール)
■初代津村重舎(つむら・じゅうしゃ)
【1871年~1941年】日本の実業家。中将湯本舗津村順天堂(現ツムラ)の創業者。貴族院議員。大和(奈良県)出身。高等商業学校(現・一橋大学)中退