橋田壽賀子
橋田壽賀子 名言・語録9件
(脚本家)
「空襲は日常茶飯事になってはいたが、それでも日本は勝つと信じていた」
「父の紹介で大阪の蛍池にある大阪海軍経理部に、下宿付きで『理事生』として採用された」
「世間から食料や生活物資がほとんど消えてしまったというのに、経営部の倉庫は物資であふれていた。食事や生活用品に困ることがない天国のようなところだった」
「1945年(昭和20年)7月10日、空襲で堺も焼け野原になった」
「下宿のご主人は慶応ボーイだった人で、はばかることなく『この戦争は勝てないよ。覚悟しておいた方がいい』と言っていたが8月15日、それが本当になった」
「戦争が終わって平和を手にした日本人は、娯楽を映画に求め、作れば作るだけ客が入った」
「私の世代は、結婚相手になりそうな年ごろの男の多くが戦争で亡くなっている」
「『おしん』の『しん』は辛抱のしん。真実のしん。真剣のしん。体の芯のしん。曲がりくねった人生を一歩また一歩と進んでいく女の名前としてはそれしかない」
「一年間の放送が終わってみれば平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%。その後、68の国と地域で放送された」
【出典】
【感想・論評・補足】
橋田のオリジナル脚本、NHKの連続テレビ小説『おしん』は1983年に放送された。空前のヒットとなったが、『おしん』のモデルはなく、いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた『日本の女たち』だという
経歴(プロフィール)
■橋田壽賀子(はしだ・すがこ)
日本の脚本家、劇作家。1925年5月10日京城府(現・ソウル)生まれ。大阪府堺市西区出身。本名は岩崎壽賀子(いわさき・すがこ)。旧姓は橋田。主なテレビドラマ作品『おしん』『春日局』『渡る世間は鬼ばかり』など