名言・語録・格言

このサイトは人類の叡智の結集である。 知りたい人の名言・語録があれば検索ボックスに人名を入れて下さい。名言・語録は391冊の本や社史、雑誌などから抽出したもので、出典元は最後に記しております。出典元のはっきりしない名言・語録は記載しておりません【302名 2456件の名言・語録を収録(2023年1月27日現在)】

住田正一

住田正一 名言・語録1

(呉造船所社長。鈴木商店幹部)

 

 

鈴木商店は退却を知らなかったばっかりにつぶれてしまった。たった2割減量しておれば、倒産をまぬがれたであろうに」

注釈:来島どっく(造船メーカー)の経営者、坪内寿夫にあるとき、住田はこのように語ったという。企業が競争に敗れるのは大差ではなく、ほんの紙一重。開いてもせいぜい2割まで。退く(減量)にしろ、進む(業績を伸ばす)にしろ、2割を一つの目安にしておけば競争相手に負けることはない。数々の企業を再建した坪内は『進むも退くも2割が目安』で事業経営を行った。『2割退く』が企業を潰さない最良の手段であるとしてきた坪内は、住田の言葉で改めてその正しさを実感したという

 

 

【出典】

『坪内寿夫経営語録  成功への意識革命』坪内寿夫 

 

 

【感想・論評・補足】

神戸の鈴木商店日露戦争第一次世界大戦で巨万の利益を得て、三井、三菱と肩を並べる大商社へ急成長した後、昭和2年の金融恐慌であっけなく倒産した。住田はこの鈴木商店の番頭、金子直吉の秘書を長年つとめた。金子と供に一介の砂糖問屋に過ぎなかった鈴木商店を大商社にまで押し上げた立役者の一人であった。倒産後は、解散・整理に奔走した。鈴木商店倒産はそのスケールにおいて、あのドイツのスチンネス・コンツェルンの倒産(1925年)や、スウェーデンのマッチ王・金融王のクロイガー・コンツェルンの倒産(1932年)とともに、世界3大倒産のひとつに数えられる。しかし、内部資料の散逸のためもあって、鈴木商店の倒産の原因は様々語られるが謎である。鈴木商店を知り尽くしている住田の、倒産の原因は『退却を知らなかったから』というのはとても説得力がある。また貴重な歴史的証言ともいえる

 

 

経歴(プロフィール)

■住田正一(すみた・しょういち)

1893年~1968年】日本の実業家。海事研究家。呉造船所社長。愛媛県出身。東京帝国大学法科大学政治学科卒。神戸の鈴木商店入社。船舶部勤務。金子直吉の秘書を長く務める。東京都副知事、呉造船所社長などを歴任。一方、海事史を研究、日本海事史学会会長を務めた