増田通二
増田通二 名言・語録1件
(パルコ創業者)
「われわれは18、9の年齢で終戦を迎えた世代なんです。終戦によって、すぐ目の上のプレッシャーだった先生までも消えてしまったという世界に放りこまれたわけ。それまでは、兵隊に取られたくないから理科系の学校へ行って、数学が嫌いでも数学の勉強をやった。つねに『数学をやらなきゃ、兵隊に取られる』というプレッシャーが、われわれにはあったんです。これがわれわれの世代に一番強いプレッシャーだった。嫌いなものを一生懸命するなんて、なんか損だなと思ったけど、やらないと兵隊に引っ張られちゃうからね」
【注釈】
当時、多くの学生は徴兵免除がある理系に押しかけ、終戦とともに文系に移っていった
【出典】
『戦争体験と経営者』立石泰則
【感想・論評・補足】
将来は軍人になって『お国のために死ぬ』と本気で思っていた子供達がいた一方、増田のように兵隊になるのは『まっぴらごめん』と思っていた学生もいた。増田の言葉はそのことを示す貴重な証言といえる。増田の府立十中時代の同級生に堤清二(西武流通グループ代表、セゾングループ代表などを歴任)がいた。この堤(東京大学経済学部卒業)も理系から文系に移った一人であり、兵隊にはなっていない。増田は東京大学卒業(文系)後、学校の教師を経て西武に入り、そして池袋パルコを開業。堤も増田も兵隊にとられていたら、西武流通グループもパルコも存在しなかったかもしれない。運命とは分からないものだ
経歴(プロフィール)
■増田通二(ますだ・つうじ)
【1926年~2007】日本の実業家。パルコの創業者。1926年4月27日、東京の新宿区市ヶ谷で生まれる。十中(現・東京都立西高等学校)卒業。東京大学卒業。東京都立第五商業高等学校の定時制の社会科教師を経て、西武に入る。パルコを創業