名言・語録・格言

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吉田忠裕

吉田忠裕 名言・語録5

(YKK株式会社会長CEO)

 

 

「富山の田舎で生まれた吉田忠雄は裸一貫から、世界の『ファスナー王』と呼ばれるようになりました。70代になっても、80代になっても、本人は18歳だと言いきっていました。こんな言葉を残しています。『私は決して成年に達しない。無限に膨らむ夢を追い続ける』現状に満足せず、人生の最終局面まで夢を追いかける人でした」

 

 

YKKは私の父である吉田忠雄が創業した会社ですが、私には『創業家』という意識はあまりありません」

 

 

「忠雄が亡くなった翌年の1994年に、われわれは『吉田工業』から『YKK』に社名を変更しました。この会社は決して吉田ファミリーのものというわけではありません。事業は会社のもので、個人や家族のものではないと思っています。自分の子どもに継がせようという発想はまったくありません」

【注釈】創業者の吉田忠雄1993年、84歳で死去した

 

 

YKK APが『窓のパイオニア』だと日本では言われています。日本の窓も大事ですけれども、今『世界の窓』を考えています。世界で窓の需要はまだ伸びます」 

 

 

「日本のサッシメーカーで、生産拠点が海外にあるところはありますが、市場として世界を本格的にとらえようとしているのはわれわれだけです。ファスナーで世界展開したのですから、窓メーカーとしても世界を見据えていきたいと考えています」

 

 

【出典】

YKKの流儀』

 

 

【感想・論評・補足】

吉田忠裕はサッシ部門の立ち上げに注力しながら、ファスナーとサッシ両部門の陣頭指揮を執ってきた。2011年にYKK株式会社と窓などの建材メーカーのYKK AP代表取締役会長CEOに就任。2018年に両社の代表取締役会長CEOを退任。後任には創業家とは関係のない人を据えた

 

 

経歴(プロフィール)

■𠮷田忠裕(よしだ・ただひろ)

日本の経営者。YKK株式会社代表取締役会長CEOYKK AP株式会社代表取締役会長CEOを歴任。1947年、富山県で生まれる。慶應義塾大学法学部卒業後、米国のノースウエスタン大学経営大学院(ケロッグ)修了。YKK株式会社(旧吉田工業株式会社)に入社。1990YKK AP株式会社社長。1993YKK株式会社社長。2011年、両社会長CEO2018年に両社の会長CEOを退任