藤沢武夫
藤沢武夫 名言・語録6件
(ホンダ副社長)
「本田技研は本業で金儲けをする」
「生産企業は生産企業なんですから、為替差益なんかで金儲けをしちゃいけない。だから、私は本業以外のもので金儲けをしてはいけないという原則を、本田技研でつくってしまったのです」
「なんといっても金には魅力、というより魔力があります。しかし、金儲けをする能力ならば、本田宗一郎より私の方が上です。しかも、私はやろうと思えばできないことはない地位にいた。しかし、どんな場合にも本業以外で儲けることはやりませんでした」
「個人でもやりません。株にだって手を出せないわけはないんですが、私はやりません。自分の身のまわりはいつもきれいにしている。だから、みんながついてきてくれる」
「私は、初めから本田宗一郎の技術を信頼して、そのうえで営業を展開してきました。本田がこうなるといえば、必ずその通りになっていましたから、その前提にたった私の予想は必ず当たっていたのです」
「私は若いときから、自分の精一杯の知恵を出してみたいと思っていました。だれかの鞄持ちをして、なんとかその無名の人の持っている才能をフルに生かしてあげたい、というのが夢だったんです」
【注釈】藤沢は天才技術者、本田宗一郎と出会うことでこの夢を叶えた。本田と出会った時、既に天才技術者として知られ無名ではなかったが、世界の本田にしたのは藤沢の功績といえよう
【出典】
『経営に終わりはない』
【感想・論評・補足】
天才技術者だった本田宗一郎は、自身は開発に専念。そして経営は全て藤沢に任せた。本田は藤沢を全面的に信頼していたので、会社を引退するまで一度も社長印を見ることはなかったという。ホンダは、2度ほど倒産の危機に直面したが、このいずれも、藤沢が危機処理に走り回って会社を救っている。藤沢がいなかったなら、ホンダはとっくに倒産して存続していなかったかもしれない。そして藤沢がいなければ恐らく世界のホンダになることはなかったであろう
経歴(プロフィール)
■藤沢武夫(ふじさわ・たけお)
【1910年~1988年】日本の経営者。 ホンダ副社長。本田宗一郎と共に本田技研工業(ホンダ)を世界的な大企業に育て上げた。1910年11月10日、東京の小石川で生まれる