三木弼一
三木弼一 名言・語録1件
(松下電器産業技術担当専務取締役)
「昭和30年代はデジタルコンピューターの黎明期ですから、日本の電機メーカー7社すべてが参入しました。そのなかでも私ども松下だけがドロップアウトしたような格好になっていますが、技術開発をやめてしまったわけではありません。大型コンピューターのビジネスからはたしかに撤退しましたが、特殊なミニ・コンピューターの技術開発などはずっと継続してきました」
【注釈】昭和39年、松下幸之助は大型コンピューター事業からの徹底を命じた。これはアメリカのチェース・マンハッタン銀行の副頭取との話で、『アメリカでもIBM以外はあまりうまくいっていない、日本で7社は多すぎる』と幸之助が聞いたことによるのだが。この撤退は『松下幸之助がコンピューターに理解がなかったからだ』『松下幸之助の最大の失敗』『先を見る目がなかった』などと批判する人や評論家がいる。しかし、ミニ・コンピューターの技術開発は継続していたというのなら、評価が変わるだろう。さらに言えば、大型コンピューターの撤退は、あの伝説の『熱海会談』の直後である。つまり家電業界全体が不況にあえぎ、松下電器も減収減益と業績不振の時期であった。新規事業を継続する余裕がなかったのであり、撤退は『賢明な選択』であったといえよう
【出典】
【感想・論評・補足】
大型コンピューター撤退後も、特殊なミニ・コンピューターの技術開発は継続していたというのは意外な事実である
経歴(プロフィール)
■三木弼一(みき・すけいち)
日本の技術者。松下電器産業株式会社代表取締役専務(技術・品質・環境担当、知的財産権担当、海外研究所担当)を歴任。1975 年、世界最初のシステム LSI(ワンチップデジタルラジオ用選局 LSI) を開発以来、一貫してマルチメディア分野の研究開発の主導的役割を果たしてきた。昭和15年2月5日生まれ。京都大学工学部電気工学科卒業