名言・語録・格言

このサイトは人類の叡智の結集である。 知りたい人の名言・語録があれば検索ボックスに人名を入れて下さい。名言・語録は391冊の本や社史、雑誌などから抽出したもので、出典元は最後に記しております。出典元のはっきりしない名言・語録は記載しておりません【302名 2456件の名言・語録を収録(2023年1月27日現在)】

松下幸之助の人柄が分かる名言・語録

松下幸之助の人柄が分かる名言・語録13件

 

 

「松下翁は、どんな人にも深々とお辞儀をしていた。それが人を感動させた」

小田全宏(松下政経塾4期生)

 

 

「幸之助もいつも腰を90度に曲げるお辞儀をしていたので、前屈姿勢で床に手が届いたという逸話があるほどです」

佐藤悌二郎(PHP研究所専務)

 

 

「幸之助は常に謙虚さを貫いた人でした。新聞記者などお客さんが訪ねてきたときに、相手がどんなに若い人でも、みずから玄関まで送って、その車が見えなくなるまで見送るんですね。そして見えなくなる寸前のところでもう一回、深々とお辞儀をします」

佐藤悌二郎(PHP研究所専務)

 

 

「幸之助さんのお辞儀は、ほんとうに素晴しいものでした。大阪商人のメッカ、船場で小僧のときから鍛えあげられたもので、深く頭を下げて前方にかがみ、両手は両膝の下へすーと降りていく。あれほど日本人の謙虚さ、丁寧さ、礼儀正しさといった美徳を感じさせる姿勢は、なかなか見ることができません」

岩谷英昭(米国松下電器会長)

 

 

「私たち塾生の心の中には、松下翁の、謙虚でいながらそれでいて凜とした姿、そして、いつも変らぬ態度で私たちの言葉に耳を傾けてくださっていた姿が、今も懐かしく残っている」

小田全宏(松下政経塾4期生)

 

 

「勤務していた四国・松山から大阪へは船旅が普通だった。この場合、船が見えなくなるまで20分くらいかかったが、得意先の見送りがそれまでに終わることはなかった。幸之助は普通『やりすぎ』と思うことを、少しもそう思っていなかったようである」

大西宏(松下電器商学院長)

 

 

「幸之助にとっては、人はみなお客様、世間全体がお客様だった。かなりの高齢になっても、たとえば直接のお得意先ではない県人会の宴会で上座をすすめられても末席に座り、『いつもお世話になっています』とお酌して回って黒田節を舞ったりしてサービスに努めた」

大西宏(松下電器商学院長)

 

 

「京都駅の新幹線のホームで偶然松下幸之助さんに会った。名古屋で降りるといったら、名古屋につくと松下さんがホーム立って挨拶をされた」

会田雄次歴史学者京都大学名誉教授)

 

 

「松下さんは車が曲がって視界から消えるまで立ったまま最後まで見送ってくれた」

越後正一(伊藤忠商事中興の祖)

 

 

松下幸之助さんと接していて一番印象的だったのは、年齢、性別、あるいは肩書きに関係なく、他人の話をよく聞かれていたことでした」

佐久間曻二(松下電器産業副社長)

 

 

「有名な話ですが、幸之助さんは販売会社や代理店、有力小売店ナショナルショップなど)の社長および責任者を招いて宴席を催された時など、座布団の角が曲がっていないか、箸がちゃんと置かれているかなど細々した点を含めすべて自分の目で確かめ、気にいらなければ全部自分の手で直されました」

佐久間曻二(松下電器産業副社長)

 

 

「大学者から大実業家、大政治家に至るまで、多くの人に会う機会に恵まれたが、<人の話を聞く姿勢>において、松下幸之助に勝る人を知らない。この場合の『姿勢』は文字どおり体の形まで含めてであるが、松下幸之助は、人の話を聞くことにおいてまことに真摯であった。どんな若い人の話でも姿勢を正して何時間でも、みじろぎもしないで聞いた。全身全霊で聞いた」

水野博之(松下電器産業副社長)

 

 

「それにしても、初対面の松下さんの耳の大きいことには驚いた。まるで大きな両耳に上品な顔が付いている、そんな感じさえする耳だった。その後、この大きな耳が、私のような若造の話にもいつも謙虚に、一言も逃さないようにと傾けるための耳であることを、幾度となく思い知らされた」

松岡紀雄(アメリPHP研究所初代代表)

  

 

【出典一覧】

松下幸之助翁82の教え』小田全宏

松下幸之助の論点』PHP研究所(編)

松下幸之助は生きている』岩谷英昭

『図解で身につく!松下幸之助の思考法』大西宏

『誰も書かなかった松下幸之助 3つの素顔』水野博之

松下幸之助に学ぶ希望の哲学』佐藤悌二郎&青木仁志

松下幸之助から教わった「経営理念を売りなさい」』佐久間曻二

『最終講義 松下幸之助から学びて、いま思う日本の行く末』松岡紀雄