素野福次郎
「世界で初のフェライトセールスマンはおれだ」
「私はフェライトを必ず売れる商品にしてみせるという意気込みがあった。自社で開発した商品を売るという生き甲斐があったし、それは絶対に揺るがせない自負につながっていた。『世界で初のフェライトセールスマンはおれだ』」
「家庭を大切にすることは企業経営の基本」
「家庭をよく治めることができない者に、企業の経営はできないだろう」
「家庭は目茶苦茶だが、経営者としては立派だというのは、まやかしではないかと思う」
「家庭は集団の最小単位である。したがって、家族生活が健全でないと、より大きな集団に参加しても、十分な働きをすることができない」
「社長として最も力を入れたのは人材の確保」
「『企業は人なり』とはよく言われるが、経営者の大きな役割は質のよい社員を養成し、企業としての社会的使命を果たすことである」
「『企業は文化をつくり、育てるものである』これが私の信念である」
「企業の果たすべき社会的責任は、広範囲で、かつ大きい。企業のつくり出す製品の社会的価値が重要であることはもちろん、従業員、関連産業、取引き先に対する責任も重大である」
「したがって、企業がどのようなポリシーで日々の活動を行っているか、地域社会にどのように貢献しているかが評価の基準になるべきであり、それらの積み重ねが一つの文化を形成するのだと思う」
「終戦になったので会社は解散します。従業員に手当を渡さなければなりません。彼らはTDKの社員であるとともに、日本国民として戦争に協力してきました。その大事な国民を金も払わずに追い出すわけにはいきません。金があるなら払ってください」
【注釈】昭和20年8月15日の終戦の翌日、素野は海軍技術研究所に乗り込み、売掛金を払ってもらう交渉を行う。戦争中は監督される立場だが、昨日からは5分と5分。売った品物の代金を請求するのは当然の権利。激しい問答の末、海軍技研が56万円を払ってくれたという
【出典一覧】
『人を育てる』
『私の履歴書(経済人24)』
【感想・論評・補足】
終戦の翌日に、海軍技術研究所に売掛金の回収に行くとはなんとも大胆な行動である。素野は売った品物の代金を請求するのは当然の権利。私心がないので怖くはなかったという。実際に56万円支払わすことが出来たのだからあっぱれである。また素野は人材の育成、採用に力を入れた経営者としても知られた