犬塚孝明
犬塚孝明 名言・語録5件
(歴史学者)
(歴史学者)
「明治初期、日本の外交は春から初夏の季節を迎えようとしていた。若々しい芽吹きの季(とき)である」
「人も国も生気に満ち溢れていた。季節が移り変わるように、時代が動けば人も動く。日本にもかつて、躍動感に溢れた若い外交の時代があった」
「明治初期の日本は、外交官たちが最も光り輝き、華やかに活躍した時代ではなかったかと、私は思っている」
「外交の要(かなめ)は人にあり。それが新しい日本を担った人々の共通した想いであった。外交は対話の力だと言われる。幸いにも親生日本は、その対話力を備え、機知に富み、国際感覚豊かな若い外交官を数多く持つことが出来た」
「外交は、政策や戦略だけでは成り立たない。人物あっての外交である。鮫島も森も、わが国最初の外交官であった。このふたりから日本の外交官の歴史は始まった」
【出典】
『ニッポン青春外交官』
【感想・論評・補足】
明治初期の日本の外交官の歴史は若い鮫島尚信(さめしま・なおのぶ)と森有礼(もり・ありのり)から始まったという。鮫島尚信の名を知る日本人は少ないだろう。森有礼が初代文部大臣であったことは知っていても、元々外交官であったことを知る人は少ないだろう。犬塚は日本に貢献したが、今やその名前すら忘れ去られた人物に光を当てる研究者といえる