梶山静六
「常に志しは高く 仕事は活発に されど普段は質素に」
【注釈】兵庫県の養父市市長室に掲げられている梶山の言葉
「私の政治信念は『愛郷無限』の四文字に込められている。故郷を想う心なくして国を愛することはできない。国の発展なくして故郷が豊かになるはずがない。この限りない想いを抱いたときから政治家としての歩みが始まりこの志を貫くことが私の信念となった。いつの日か大きく実った故郷を見つめ我が人生に悔いなしと言えるその日まで私は全力を尽くしていく」
【注釈】茨城県常陸太田市の自宅の近くに梶山の墓所がある。そこの石碑に記されている言葉
「俺は勝てないよ。理由は三つある。一つ、総理総裁をめざして政治家をやってきたわけではないので敵が多い。二つ、梶山静六に梶山静六はいない。三つ、小泉は絶対に出馬する、そうすると票が割れる」
【注釈】総裁選に出馬の際に、秘書の大崎恵利子にこう語っていた。梶山に梶山はいないというのは参謀が不在という意味
【出典一覧】
『藤田けんじ常陸太田市議会議員HP』
『影の権力者 内閣官房長官義偉』松田賢弥
『梶山静六 死に顔に笑みをたたえて』田崎史郎
【感想・論評・補足】
梶山静六は菅義偉総理の政治的な師匠である。総裁選出馬を渋る梶山を『国のため党のため、断固出馬すべきです。先生以外にいません』『立たなきゃ評論家じゃないですか。政治家は評論家じゃありません』と口説いて出馬させたのが、当時一年生議員であった菅である。この時は2位で落選した。まさか、22年後に菅自身が総裁選に出馬し総理になるとは夢にも思わなかったであろう。見事に師匠の雪辱は果たすことができたといえる
経歴(プロフィール)
■梶山静六(かじやま・せいろく)
【1926年~2000年】日本の政治家。衆議院議員(9期)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、通商産業大臣(第51代)、法務大臣(第52代)、内閣官房長官(第60代、第61代)、自由民主党国会対策委員長(第35代、37代)、自由民主党幹事長(第29代)などを歴任した。竹下派七奉行の1人に数えられる。菅義偉総理の政治的師匠。1926年3月27日生まれ。茨城県出身