「入塾から1年が経とうとする1981年3月、終業式の前日のことであった。1年を締めくくる松下さんの講話は『心眼(しんがん)が開かれていない』『一年間の研修は無に等しかったのではなかったか』などと辛辣(しんらつ)な内容であった。さらに、松下さんは塾生の質問に対して『君らにいろいろ言っても、猫に小判だな』と言い放った。猫に小判というのはシニカルで、きつい言い方である。『自分は渾身の力を込めて、いろいろと用意して話してきたのに、君らにはまったく伝わっていないのか』『これでは政経塾を閉じても仕方がない』という趣旨の発言であった。私はその言葉を聞いて、『期待に応えられてないんだ』と悔しさがこみ上げ、ただただ泣きたい気持ちだった。まだ23歳前後の小僧だから、経営の神様に叱られて意気消沈し、ションボリである」
「松下幸之助から託されたと、私が考えているものが二つある。ひとつは税財政の立て直しであり、もうひとつは二大政党を定着させることである。この二つの宿題は、私がバッジを付けている限りは追求していかなければならないと思っているところだ」
「税財政の立て直しでいえば、松下さんが強く主張していたのが無税国家構想であった。今の日本政府の財政からすると、無税国家は現実からかけ離れたものでしかない。しかし、少しでも財政を再建し、その理想に向けた見通しを切り拓いていくのが、私の役割だと認識している」
「歳出を削るのが、財政再建の第一歩である。その一里塚を作ることが、自分の使命だった。その先のことは次の世代に任せ、無税国家をリアリティを持って語れる時代に向けて環境を整えるのが、自分の仕事だと考えたのである」
【感想・論評・補足】
松下幸之助が政経塾の塾生に期待したことは一つだけ『新しい人間観』を血肉とすることであった。松下が望んだ本物の政治家とは『新しい人間観に立つ、国家百年の計を持った政治家』であった。この新しい人間観を基に政治、経済、国家百年の計を考えることを望んでいたはずだ。『猫に小判』と塾生を叱責したのは、『新しい人間観』が何も身に付いていないからではなかったか。野田元総理は人望があり、人格者でもある。今からでも遅くはない。松下幸之助の理念、哲学の要諦である『人間観』『人間大事』を身につけていただくことを、国民の一人として強く希望する
経歴(プロフィール)
■野田佳彦(のだ・よしひこ)
日本の政治家。内閣総理大臣(第95代)。財務大臣(第14代)。千葉県議会議員(2期)。1957年5月20日生まれ。千葉県船橋市出身。早稲田大学政経学部卒業。松下政経塾(1期生)