名言・語録・格言

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桂芳男

桂芳男 名言・語録7

経営学者)

 

 

鈴木商店は昭和2年の金融恐慌で倒産した。しかし、内部資料の散逸のためもあって、鈴木商店はその画期的な企業活動にもかかわらず、研究上は甚だしく冷遇されてきたのであった」

 

 

「鈴木倒産はそのスケールにおいて、あのドイツのスチンネス・コンツェルンの倒産(1925年)や、スウェーデンのマッチ王・金融王のクロイガー・コンツェルンの倒産(1932年)とともに、世界3大倒産のひとつに数えられる」

 

 

「神戸の米騒動による鈴木焼き討ち事件について、それが『世間の誤解』であったことを第3者の立場で早くから(昭和6年)主張したものに河野信治がいる」

 

 

「鈴木は『倒産』したが決して『破産』することはなかったのである」

 

 

「支払停止後、鈴木は株式鈴木を整理会社として、日本商業に株式鈴木の営業を移転し、これを『日商』株式会社と改組(昭和3年)して再建をはかり、結局6年後の昭和8年にそれまで債権者会議も開かず、破産宣告もうけずに、一切の債務を弁済して整理会社を解散したのであった」

 

 

「これは、ひとつには金子が倒産の整理にあたって、井上準之助のアドバイスもあり、示談の方針を貫徹したこと」

 

 

「いまひとつには、債権者側も調査を進めていくうちに、鈴木側には何のごまかしもなく、私利私欲的な隠し金もなく、純粋に事業経営上の倒産であったことを確認したことによるものであった。このようにして、鈴木はまた海外にも迷惑をかけることがなかったのである」

 

 

出典『幻の総合商社 鈴木商店

 

 

【感想・論評・補足】

いまや地元神戸でも鈴木商店や番頭であった金子直吉の名を知る人は少ない。詳細に資料を読み込み分析した桂芳男の著書『幻の総合商社 鈴木商店』には鈴木と金子の栄光と挫折が克明に書かれている貴重な著書といえる。昭和2年に倒産した鈴木商店は世界3大倒産の一つに数えられるが、破産宣告もうけずに、一切の債務を弁済し極力周囲に迷惑をかけないように努力していたこともこの著書で分かる

 

 

経歴(プロフィール)

■桂芳男(かつら・よしお)

日本の経営学者(専門は経営史)。経済学博士、神戸大学名誉教授。1929愛媛県生まれ。松山商科大学(現松山大学)卒業。1958神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。神戸大学経済学部教授を歴任