奥正之 名言・語録13件
(三井住友銀行頭取)
「私は人生とは、つくづく『出会い』と『選択』の累積だと思うのだ。そして失敗も人生に欠くことのできない要素となる」
「あのとき受験に落ちて文系に転じなければ、銀行に入ることも、経営に携わることもなかったはずだ。だから人生は分からない」
「『銀行員の仕事の本質は、光が当たらない一隅を照らすこと』。そう教わった」
注釈:新人の頃の上司の教え
「留学はそれまで一応培ってきた私のプライドを紛糾した。ネイティブの英語についていけず、初めは勉強どころか試験範囲が聞き取れない。人生であれほど勉強したのは最初で最後だ」
「だから留学の終わりに指導教官のJ・J・ホワイト教授の解説書『バンキング・ロー(銀行法)』の執筆を手伝った労が認められ、冒頭の謝辞に名前が載った喜びは忘れない」
「自分の名前が刻まれた分厚い専門書は、今も書籍に置いている宝物だ」
「留学先のミシガン大学ロースクールでは、少し年齢のいった数人の学生に強烈な刺激を受けた。ベトナムからの帰還兵である。彼らが勉学に取り組む姿勢には鬼気迫るものがあった」
「従軍で失った時間を一刻も早く取り戻さんとする姿に、平和な日本人留学生の私は頬を張られた思いがした」
「平成金融史はあくなき合併の歴史だ」
「1990年(平成2年)に『太陽神戸三井銀行』が誕生し、翌年には『協和埼玉銀行』が続く」
「関西は私鉄王国」
「守秘義務のある銀行員として融資先の話は実に書きにくい。それこそ個別の不良債権対応は墓場に持っていく」
「金融は脇役として個人の幸福、そして企業の成長という目標の実現へ伴走するのが使命である」
【出典】
【感想・論評・補足】
奥は昭和、平成、令和と金融マン一筋で生きてきた、金融の生き字引といえよう
経歴(プロフィール)
■奥正之(おく・まさゆき)
日本の銀行家、経営者。1944年12月2日、京都府で生まれる。京都大学法学部卒業後、住友銀行入行。三井住友フィナンシャルグループ代表取締役会長。三井住友銀行代表取締役頭取兼最高執行役員。住友財団理事などを歴任