名言・語録・格言

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蟹江一太郎

蟹江一太郎 名言・語録2

カゴメ創業者)

 

 

「志を高く、しかし物事は急いではいけない」

注釈:蟹江一太郎の孫でカゴメ5代目社長の蟹江嘉信によると、一太郎は富士山にデンデン虫(かたつむり)が登っている絵を描いたことがある。そこには『デンデン虫そろそろ登れ富士の山』と書き添えてあり、自らをデンデン虫にたとえ、『何事もあわててはいけない。しかし富士山のように高い志』を表現したのだろうという

 

 

「わしは125歳まで生きても結構だし、今日死んでも悔いはない。もちろん、まだまだやりたいことはいくらもあるが、それは理想だ。今日までのところは一つの理想をもってそれを実現し、また理想を立ててその実現に努力する、そういう繰り返しをやって今日に至っているから、今日死んでも後悔はない」

注釈:70代半ば頃の発言。蟹江は96歳まで生きる

 

 

出典『食を創造した男たち』島野盛郎

 

 

【感想・論評・補足】

鳥野盛郎の著書『食を創造した男たち』によると、日本人がトマトを愛好するようになったのは、元号が昭和になってからである。トマトは元々、インカ帝国の栄えたアンデス山脈のつらなる高原地帯で発見されたものである。これを栽培して食用にして『トマト』と名づけたのがメキシコ人である。そしてメキシコ人が16世紀初めにヨーロッパに伝え、アメリカや日本では17世紀終わりごろに伝わる。トマトは欧米では食用として愛好されるようになったが、日本では伝来してから明治の中頃までは、その味が気に入られず、観賞用の植物として扱われてきた。それを日本人にも食用として愛好されるようにしたのが、『トマト王』と呼ばれた蟹江一太郎であるという。蟹江の言葉にはトマトを食用として日本に普及させた開拓者魂を感じさせる

 

 

経歴(プロフィール)

■蟹江一太郎(かにえ・ いちたろう)

1875年~1971年】日本の実業家。カゴメ創業者。「トマト王」とも称される。187527日、愛知県知多郡名和村(現・東海市名和町)に農家の長男として出生。1899年、西洋野菜の栽培に着手、最初のトマトの発芽を見る。1906年、東海市荒尾町西屋敷に工場を建設、トマトソースの本格的生産に入る。1914年、成田源太郎、蟹江友太郎と共同出資し、愛知トマトソース製造(資)設立。1963年、社名を「カゴメ株式会社」と改称、トマトマーク制定