名言・語録・格言

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斉藤周行

 

斎藤周行 名言・語録3

(松下貿易代表取締役専務)

 

 

「ある夜遅く、呼び出しがかかった。あわてて松下社主の部屋へ行ってみると、またもや東京の某女性への手紙の封筒にローマ字の上書きをしてくれとの命令である。またもや」

注釈:齋藤は松下幸之助の長期の米国視察旅行のアテンドをしたが、何回となくこの上書きを頼まれたという。某女性とは愛人の世田谷夫人のことであろうか

 

 

松下幸之助氏は当時、公職追放とか戦犯容疑といった旋風に対し、異常なまでの拒否反応を示しておられた。そこで井植氏にぶっつけられるものは、愚痴と非難である。すなわち『自分は変わることなく平和産業中心主義を主張し、そのように行動しつづけてきた。それを、おまえがネジ曲げて軍需会社の経営へ向けてしまい、その結果、自分を公職追放、戦犯の容疑まで受けかねない窮地に追い込んでしまった。自分には一切、そんな責任はない。もし責任をとるならば、おまえではないか』という非難であり攻撃である」

注釈:井植歳男(戦後、松下を去った後、三洋電機を創業)から聞かされた松下退社の真相

 

 

「(松下退社後の)ある日、松下幸之助氏の招きを受け本社へ出かけていった。その時、松下幸之助氏は、『あんたは、衣笠丸事件で会社に迷惑と損害をかけた。だから、重役だったからといって退職金を差上げるわけにはいかない。これは、今後あんたが仕事をしていく上での、わしからの志だ』と言って、50万円を手渡された。私は、何か割り切れない気持であった。衣笠丸事件で、私が一人、本社をかばうつもりで全責任を負ったことは、本社幹部なら誰しもが十分に知っていたはずである。それが、なぜ、松下幸之助氏に報告されていなかったのであろうか」 

 

 

【出典】

『拝啓松下幸之助殿』

 

 

【感想・論評・補足】

齋藤の著書『拝啓松下幸之助殿』には、井植歳男が松下を去った理由や、齋藤が関わった衣笠丸事件の真相など、パナソニックの社史や、PHP研究所から出版される松下幸之助本には絶対書かれることがない不都合な真実が満載である

 

 

経歴(プロフィール)

■齋藤周行(さいとう・しゅうこう)

日本の経営者。貿易商人。貿易会社、東邦通商株式会社創業者。松下貿易株式会社代表取締役専務。松下造船能代工場長。19127月、宮城県白石市で生まれた。福島高等商業学校卒業