名言・語録・格言

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森下洋一

森下洋一 名言・語録4

松下電器産業5代目社長)

 

 

「一緒に役員になった連中の45人とともに、創業者と会ったことはありますが、一対一で話をするということはありませんでした。経営会議あるいは責任者会議といった100人単位の会議の場で創業者の話を聞く機会はありましたが、創業者と一つのテーマについて個別に話をしたという経験は、私の世代になるともうないんですよ」

【注釈】森下は1957年(昭和32年)に松下電器産業(現パナソニック)に入社している

 

 

「創業者と直接、話をしたことはあまりありませんが、少なくともいまの役員のなかでは、創業者の話を一番聞いているのは私ですよ。何度聞いたことか。年に一度はPHPに行って、一日中、創業者と対話をしましたよ」

【注釈】森下は社長就任直後から、何度となく京都にあるPHP研究所の本社を訪れ、繰り返し松下幸之助の録音テープを聴いたという。テープが約3000本ある

 

 

「松下には明確な経営理念があります。世の中に対する存在感というか価値観というか、世の中に対してどのような貢献、役立ちができているか。使命感です。松下は世の中に役立っているか――それが松下の企業理念の根本なのです。世の中から支持され、喜んでいただけるような事業活動をしてさえいれば、事業はおのずと発展するという考えです」

 

 

「経営者は絶対に公の心を持たなければなりません。私心を持たない。公の心で経営に当たることが何よりも大切だ。それがあれば、外に対しても、内に対しても、いくらでも厳しいことが言えるんです」

 

 

【出典】

松下電器に明日はあるのか』財部誠一

 

 

【感想・論評・補足】

森下は1993年に社長に就任。松下のバブル時代の負の遺産を整理することからスタート。また、仕事の3割が松下家の調整とも言われた。そして後継社長に選んだのは、有力と目されていた幸之助の孫・松下正幸ではなく、中村邦夫であった。創業家との関係をリセット。これも『会社は公器なもの』という幸之助の理念に従ったものであろう

 

 

経歴(プロフィール)

森下洋一(もりした・よういち)

1934年~2016年】日本の経営者。松下電器産業株式会社5代目社長。1934623日、兵庫県姫路市に生まれる。関西学院大学商学部卒業