井植歳男
井植歳男 名言・語録6件
(三洋電機創業者)
「私が創業当初から描いていた夢の一つは、輸出によって海外へ進出することであった」
「社名の『三洋』も、太平洋、大西洋、インド洋になぞらえたものである」
「この願いは幸いにまず発電ランプによってかなえられた」
「今日、三洋電機を創業する。そして、自転車ランプづくりから始める。世界人口27億人、うち自転車常用者10億人、敗戦ボケから立ちあがろう。我々にはボケッとしている暇はない。やがて三洋は、世界一の発電ランプメーカーになる。近いうちに発電ランプは2百万個は売れる。みんな、頑張ってくれ」
【注釈】井植は戦後、松下電器を去り、三洋電機を創業。総勢20名の出発であったが、創業の挨拶で語ったのがこれ。戦後のないなし尽くしの環境で、持っていたのは大きな志だけだった
「小さくともよいからほんとうに魂のこもった仕事をし、他の追随できないような優れたものをつくろう」
「私は事業を始めるとき、規模は小さくてもそれを掘り下げ、どこもまねのできないような仕事をしよう、それが社会のお役に立ち、従業員のしあわせにも通じるのだと考えていた」
【出典一覧】
『実録・井植学校』林辰彦
『立ったら歩きなはれ』後藤清一
『私の履歴書 昭和の経営者群像9』
【感想・論評・補足】
井植歳男は兵庫県の淡路島出身である。世界を股にかけて販路を広げようと、社名を三洋電機(3つの大洋を越える)とした。同じく淡路島出身の実業家に畑崎廣敏がいる。彼は神戸の三宮の小さなビルの1室(約13平方メートル)を本社にゼロからアパレル会社を立ち上げた。世界を相手にしようと、社名をワールドと名付けている。海は世界に繋がっている。二人とも海に囲まれた淡路島で育ったことで自然と世界を意識したのであろう
経歴(プロフィール)
■井植歳男(いうえ・としお)
【1902年~1969年】日本の実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバー