駒井正一
駒井正一 名言・語録10件
(中学教員・近江商人研究者)
「売り手よし、買い手よし、世間よしの『三方よし』で知られる近江商人は、取引相手だけでなく社会の幸せを追い求める経営理念を持っていた」
「てんびん棒の行商でスタートし、商道徳や信用を大切にして財を築くと、各地で治山治水や道路、橋を作って貢献したというイメージが定着しているだろう」
「近江で商業が発達した背景には、恵まれた立地があっただろう。古くから交通の要衝で、京都や大阪の大消費地に近かった」
「巧みな商いは『近江泥棒』と同業者に罵られるほどだったが、ベースにあったのは『しまつして、きばる』という節約志向と勤勉だろう。良い商品を安くという家訓を掲げる商家も多かった」
「出身地によって高島商人のほか、八幡、日野、湖東、五個荘と分けられる。それぞれ同郷のネットワークを大切にし、各地で定宿を決めて、情報交換していた」
「都市部の技術を地方に移す役割も果たした」
「例えば日野商人は醸造技術をもち、北関東でしょうゆや味噌を生産した。どぶろくが主流だった東北に『すみ酒』を持ち込んだ近江商人もいた」
「近江商人は早くから鉱山経営に携わっている。江戸中期の秋田・尾去沢銅山に、盛岡の近江商人が参画していた」
「研究成果は折にふれて本にまとめてきたが、今年(2019年)2月には蝦夷での近江商人の功罪に光を当てた『アイヌ民族の戦い』を自費出版した。講演は企業の研修が多く、商道徳だけでなく負の側面こそがビジネスマン育成の参考になると好評だ」
「物事の両面に視線を向けることが、歴史を学ぶうえで大切だ」
【出典】
『日経新聞(文化)2019年11月15日』
【感想・論評・補足】
駒井は近江商人の中の『高島商人』が本拠地とした琵琶湖西岸の高島の出身である。教員をするかたわら、数十年と近江商人の研究をしている。近江商人は物を売ったり買ったりするだけではなく、醸造技術を持ち、鉱山経営にも携わっていたというから驚きである。また近江商人の功罪の両面を見るのが駒井の特徴といえる。それにしても大阪の船場に堺商人をはじめ、伊勢商人、近江商人と様々な商人が住みついたが、船場で6年ほど奉公をした松下幸之助の回想によると、船場でもっとも成功していたのは近江商人だったという。売るだけでなく、確固とした商売道徳、技術力もあったのだから当然かもしれない
経歴(プロフィール)
■駒井正一(こまい・しょういち)
日本の教育者。研究者。中学教員を務めた。滋賀県出身