末次一郎の名言・語録4件
(安全保障問題研究会の主宰者)
「北方領土の返還が実現しなければ、『戦後』は終わらない」
「沖縄の祖国復帰に至るまでの長い長い道程には、数えきれないほどのドラマがあった。たたかいも、祈りも、喜びも、悲しみもあった。その中で、多くの人たちがそれぞれに努力をつづけてきた。幸いわれわれもその戦列の一角で役割を果すことができた。全国の、とりわけ沖縄の仲間たちと共に」
「今度はこの力をさらに大きく結び合って、『さあ、いよいよ今度は北方領土だ』、『相手が違ってむずかしいが、沖縄での体験を生かして頑張るぞ』というのが、私の決意であった」
「彼は2年前に沖縄返還交渉の裏の歴史を綴った『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)という大著を世に出したが、そもそも彼に沖縄問題を結びつけたのは私だった。私が既に沖縄返還運動に取り組み、頻繁に沖縄を往来していたことを知っていた彼が、国際政治の専門家として基地の島沖縄に関心を持ちはじめたからであった。これをきっかけに彼は沖縄問題にのめり込んだが、逆に私が返還交渉のためにたびたび渡米するようになった時には、彼がその豊かなアメリカ人脈を辿って紹介してくれるなど、便宜を図ってくれた。そのおかげで、私は存分に飛び廻ることができた」
【注釈】
彼とは沖縄返還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たした国際政治学者、若泉敬のこと。しかし若泉を沖縄返還問題に引き込んだのは末次だったとは
【出典一覧】
『「戦後」への挑戦』
『温故創新 戦後に挑戦━心に残る人びと』
【感想・論評・補足】
末次一郎はあまり知られていないが、首相を務めた中曽根康弘が『戦後50年にわたり、表には出ず、純粋の野人として国事に尽瘁(じんすい)し、日ソ・日ロ・日米・日韓・日中等の外交面において、友好協力の維持と現状打破、発展への偉大な立役者だった』と最大限の敬意を表している
経歴(プロフィール)
■末次一郎(すえつぐ・いちろう)
【1922年~2001年】安全保障問題研究会の主宰者。沖縄返還の功労者として知られ、晩年は日ソ専門家会議を主催して北方領土返還運動にも取り組み、「ミスター北方領土」の異名をとった。中曽根康弘首相ら歴代政府首相・首脳のアドバイザーとしても知られる。1922年10月1日生まれる。佐賀県出身。陸軍中野学校二俣分校卒