名言・語録・格言

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作道洋太郎

作道洋太郎の名言・語録3件
経営学者)

 


松下グループは関連会社をふくめると30万人を越えるビッグ・ビジネスとなった。3人ではじめて30万人となったというのは、わが国の企業発達史においても、おそらくその類例をみないことだろう」

 


「このような松下電器の急成長は、『幸之助神話』となり、関西に多い中小企業の経営者たちに夢とロマンをあたえ、後に続く人びとにとって活力と希望の源泉ともなった」

 


「この『神話』がつくられた大躍進の転機ともなった命知元年は、その前年に満州事変
が勃発しており、戦雲急を告げようとしていた時期であった。こうした時に、関西の経営者が生活信条としてきた自由経済の基調を堅持して、産業人としての使命感を明示し、大衆社会における生活向上という目標達成への決意を新たにしたことは注目されよう。この松下幸之助の企業者活動には、自主独立の企業家精神や、関西独自のビジネス風土の影響が強く感じとられる」
【注釈】松下電器は初めて産業人の真の使命を知ったとして、昭和7年5月5日を命知元年としている 

 


【出典】
『関西企業経営史の研究』

 


【感想・論評・補足】
日本経営史上、一代で三井、三菱財閥を凌ぐ企業郡を築き上げた人物が2人いる。一人は鮎川義介日産コンツェルン創始者)。もう一人は鈴木商店の大番頭、金子直吉である。ただ、鮎川は大叔父に明治の元勲・井上馨を持ち、事業を行う際に資金的援助も受けている。金子直吉は神戸の中堅商社だった鈴木商店三井財閥住友財閥三菱財閥をしのぐ規模の企業グループに拡大させたが、あくまでも中興の祖であり、ゼロから事業を起こしたわけではない。純粋に学歴も縁故もなく、ゼロから事業を起こし一代で30万人の規模の企業グループを築いたということでは、松下幸之助が最強といえよう

 


経歴(プロフィール)
■作道洋太郎(さくどう・ようたろう)
【1923年~2005年】日本の経済学者、経営学者。 専門は日本経済史・経営史。経済学博士。愛媛県松山市出身。著書『関西企業経営史の研究』『お金の日本史』『江戸時代の上方町人』『阪神地域経済史の研究』『なにわ大阪の歴史と経済 歴史にみる大阪の経済活力』など多数