名言・語録・格言

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河崎眞澄

河崎眞澄の名言・語録4
産経新聞論説委員

 


「72年に日本が台湾と断交した後、産経を除くメディアは続々と台北を去り、拠点を北京に移していく。台湾において唯一、産経のみが支局を置き、台湾報道を続けた日本メディアである時代が長く続いた」

 


「一方、67年に中国から北京特派員の国外退去処分を受けた産経は98年、北京にも中国総局を開設することにこぎつけ、日本のメディアとして初めて中台双方に拠点を置いた。北京一辺倒だった日本のメディアはこの動きをみて産経に追随し、台北にも支局を置き始めるようになった。台湾についての報道が増え始めたのは、このころからだ」

 


産経新聞には歴史的な人物に焦点をあてた長期連載『秘録』の伝統がある。1974年から76年まで掲載された『蔣介石秘録』を始め、『毛沢東秘録』や『鄧小平秘録』、さらに『スターリン秘録』や『ルーズベルト秘録』へと広がった」

 


「李は総統として当初から『船中八策』を意識していたわけではない。97年4月、松下電器産業(現・パナソニック)の創業者、松下幸之助(1894~1989年)の秘書を長年、務めた江口克彦(1940年生まれ)から李にあてた手紙に、台湾の政治改革を船中八策に託して提言する記述があった。江口の手紙に触れた李は『自分が進めてきた政治改革と民主化の考え方は、まさに船中八策だったと気づかされた』のだという」

 


【出典】
李登輝秘録』

 


【感想・論評・補足】
李登輝の政治改革を『船中八策』と言語化したのは江口克彦氏(松下幸之助の側近として23年仕えPHP研究所社長、参議院議員など歴任)であることが分る。江口氏は多くの本を書き松下幸之助の思想、哲学を言語化した人物である。江口氏は李登輝松下幸之助の2人の偉人の頭の中を言語化したことになる。江口氏は偉人の頭の中を言語化する名人かもしれない(*^_^*)

 


経歴(プロフィール)
■河崎眞澄(かわさき・ますみ)
産経新聞論説委員兼編集局外信部編集委員。1959年、東京都練馬区で生まれる。日本大学藝術学部放送学科を卒業し1987年に入社。シンガポール国立大学華語研究センターに産経新聞社から派遣留学。経済部記者、外信部記者などを経て台北支局長、上海支局長。論説委員を兼務