名言・語録・格言

このサイトは人類の叡智の結集である。 知りたい人の名言・語録があれば検索ボックスに人名を入れて下さい。名言・語録は391冊の本や社史、雑誌などから抽出したもので、出典元は最後に記しております。出典元のはっきりしない名言・語録は記載しておりません【302名 2456件の名言・語録を収録(2023年1月27日現在)】

古森重隆

古森重隆の名言・語録12
富士フイルムHD7代目社長)

 


「企業は、算盤勘定だけで存在するわけではない」

 


「我々は写真を、人間にとって極めて貴重な文化だと考えている。写真は、喜びに溢れた楽しい思い出、輝かしい思い出、愛する家族と過ごした素晴らしい瞬間などを切り取って記録できるメディアだ」

 


「あとから写真を取り出せば、過去の体験やそのときに感じた気持ちが、当時のままに蘇る、『素晴らしい時』を再体験できるモニュメントである」

 


「私が富士フイルムに入社した1963年頃、写真フィルム業界で世界のトップをひた走っていたのは、間違いなくコダックだった。それはもう圧倒的な巨人であった」

 


「私が社長に就任した2000年、富士フイルムの主力事業だったカラーフィルムなどの写真感光材料の売上がピークを迎えた。そして、その翌年、創業以来、その背中をずっと追い続けてきた巨人イーストマン・コダック社の売上を追い越したのだ」

 


「私が入社した1960年代初めには、売上高で十数倍の差があったコダック。そこから私たちは40年近くかけて、ようやくかつての巨人に追いついたのだ。日本でのシェアは約7割と圧倒していた」

 


「しかしビジネスの世界では、絶頂のときにこそ危機が忍び寄って来ているものだ。その少し前からカメラの世界では、デジタルカメラが急激な普及を見せ始めていた。デジタルカメラの普及が意味するところは、写真フィルムが不要になるということである」

 


「実際に写真フィルム市場はその後、2000年をピークに縮小し始め、それは徐々に加速し、遂には年率20~30パーセントもの勢いで激烈に収縮していった。そして10年後には、世界の総需要はかつての10分の1以下にまで落ち込んだ」

 


「写真メーカーの化粧品と聞くと、意外に思われるかもしれない。しかし決して、畑違いの分野に参入したわけではない。写真フィルムと化粧品は、一見、まったく異なる分野に見えるかもしれないが、実は共通点が多い」

 


富士フイルムも当時、研究開発費を抑制すれば、すぐに利益率を改善することができた。しかし私はそれをしなかった。他の経費は削減しても、特に将来に必要な研究開発費なら、むしろ増やすべきだと考えていた」

 


「企業は、たえず新しいものを生み続けていく文化や体質を持っていなければならない。だからこそ未来につながる投資が大事なのである」

 


「そのための研究開発費は、大きい年で対売上高比8パーセントにもなった」

 


【出典】『魂の経営』

 


【感想・論評・補足】
デジタルカメラの普及で2000年をピークに本業の写真フィルムが衰退に向かう。巨人コダックは変化に対応出来ず倒産したが、富士フイルムはヘルスケアや化粧品に参入することで見事に生き残ることが出来た。日本に経営者がいないと言われるが、古森氏は真のプロ経営者といえるだろう。

 


経歴(プロフィール)
古森重隆(こもり・しげたか)
日本の経営者。富士フイルムホールディングス7代目社長。1939年生まれ。長崎県出身。長崎県立長崎西高等学校東京大学経済学部卒業