名言・語録・格言

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山本為三郎

山本為三郎 名言・語録6

(朝日麦酒(アサヒビール)初代社長)

 

 

「大阪には渡辺崋山の書いたという商人訓がある。これは崋山の考え出したことではなく、ただ伝承的な大阪商人の心得を崋山が書いたに過ぎないものだと思うが、その一番はじめに『召使いより先に起きよ』とある。これは主人が使用人の生活を支えてやっているという考え方でなく、使用人たちに自分の商売をしてもらっているのだ、だから主人は召使いより先に起き『おはよう』というあいさつに、心からの感謝をこめ、そして使用人を励まして働かせていくという心構えをいったものである」

 

 

「商人訓のなかで、私の記憶にあるもうひとつのいましめは『近所に同業ができたら、誼(よし)みを厚くして相励め』ということである。これは実にいい言葉だと思う。同業は競争者ではないという精神である。この精神があるからこそ、大阪の道修町は町の端から端まで45丁の間、全部薬屋でやっているし、また本町といえば、昔から繊維業者ばかりが軒を並べている。ときに消長はあるにしろ、こうしてみんな何代、何十代と続けていくのは結局、誼みを厚くして相励んでいるからではなかろうか」

 

 

「ちかごろのように食うか食われるかの激しい競争でなく、共存共栄の精神に徹してきたのだと思う。これが本当の大阪商人である」

 

 

「商家では自分に息子があってもそれはおいて、まず娘に養子をする。そしてこの養子が店の仕事を取仕切り、嫡子はあまり仕事にたずさわらない。専務の仕事をするのは全部番頭で、やった仕事をご主人に報告し相談するだけ・・・というふうだった」

 

 

「大阪の町人の家が代々続き繁栄したのはこの養子制度のお陰だと断言する人もある。嫡子は表看板にし、仕事はいっさい番頭まかせにする、つまり養子と番頭の政治、これが大阪の商家の仕事のやり方であった」

 

 

「ビールは明治初年にサッポロビールが世に出たのが日本における事始めである。しばらくは揺籃期(ようらんき)がつづき、明治20年過ぎに、ヱビスビールが東京目黒で名乗りをあげ、アサヒビールが大阪郊外の吹田に誕生してようやく活況を呈するようになった」

 

 

【出典】

私の履歴書(経済人2)』

 

 

【感想・論評・補足】

山本は生粋の大阪町人である。東京に住んでも純然たる大阪の言葉を使い家内は『ご寮人さん』娘は『いとはん』『こいさん』と呼ばれているという。『大阪人を知りたければ山本の家にいけば一番正統な大阪が残っている』と言う人がいるくらいである

 

 

経歴(プロフィール)

山本為三郎(やまもと・ためさぶろう)

1893年~1966年】日本の実業家。大阪市中央区船場生まれ。朝日麦酒(後のアサヒビール)初代社長。新大阪ホテル、大阪ロイヤルホテルを設立。「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた