早坂茂三
早坂茂三 名言・語録9件
(政治評論家)
「政治の世界は生き馬の目を抜くところです。きのうの友はきょうの敵、きのうの敵はきょうの友、敵の敵は味方。権力をめぐる男たちの葛藤の世界では日常茶飯事のことだ」
「心から信用できる相手は数えるほどしかいない」
「羽振りのいいときは群がる。いったん落ち目になるとクモの子を散らすように逃げ出す。目をかけて、一人前にしても、後ろから刺される」
「そういう修羅の巷で、田中と大平さんは心を許しあった」
「政治家の世界は、権力という暗い情熱に憑かれた男たちの狂気の谷間とも言える。この激しさに、からだと心が耐えられる者だけが生き残り、権力の司祭になる」
「私たち記者が池田勇人、田中角栄を好きだったのは、2人とも新聞記者を使ってアドバルーン記事を書かせることを、いっさいしなかったところにある」
「シロをクロと言ってアドバルーン記事を書かせて、その反応を見る。こういう姿勢がまったくなかった」
「ウソをつかないということほど、新聞記者にとってありがたいことはない。政治家と新聞記者の信頼関係は、この一点にかかっていると言っても、言い過ぎではありません」
「池田さんと田中はウソをつかなかった」
【出典】
【感想・論評・補足】
早坂が東京タイムズ社を辞めて、大蔵大臣に就任した田中角栄の秘書になったのが32歳の時である。それから23年間秘書を務めるが、早坂は新聞記者出身だけあって筆は立つが、演説も上手かったという。田中角栄の名代としていろんな会合で話をするのだが、田中角栄よりも演説が上手かったという話もある。角栄といえば政界でも随一の名演説家として知られる。その角栄より上手いとは恐れ入る。角栄の秘書として政治の裏舞台を熟知した早坂の言葉には説得力がある
経歴(プロフィール)
■早坂茂三(はやさか・しげぞう)
【1930年~2004年】日本の政治評論家。田中角栄の政務秘書を23年間務めた。「日本列島改造論」の名付け親でもある。秘書辞任後は、多くの著書を出版した。1930年6月25日生まれ。北海道函館市恵比須町出身