小山健三
小山健三 名言・語録1件
(三十四銀行第2代頭取)
「銀行は、単に利子を貪るのが本能ではない。よく事業の性質を調査し、見込のある堅実な商工業者に対しては、景気不景気にかかわらず、分に応じて資金を供給し、ことに小商工業者を保護する義務がある」
注釈:小山の銀行政策で際立っていたのは、投機資金の貸出しを絶対にしなかったことである
※出典『財界人物我観』福沢桃介
【感想・論評・補足】
福沢桃介(実業家・電力王)は小山を『東に渋沢栄一、西に小山健三があり』と評価した。さらに渋沢は品行の点では妾も置けば、芸者も買った。これに反して小山は、品行はきわめて方正で一度も浮ついた噂を聞いたことがない。また、渋沢は第一銀行をはじめ何十社に関係したが、小山は徹頭徹尾一人一業主義を厳守して、三十四銀行頭取の他は絶対に他の会社に関係しなかった。『人格の点では小山は渋沢に優るものといってよかろう』と評価している
経歴(プロフィール)
■小山健三(こやま・けんぞう)
【1858年~1923年】明治時代から大正時代にかけての日本の官僚、教育者、実業家。文部大臣秘書官、文部次官、東京高等商業学校(現一橋大学)校長、三十四銀行(後の三和銀行、三菱UFJ銀行)第2代頭取などを歴任。現在の埼玉県行田市にて、忍藩の下級武士の長男として生まれた