「県議も市議も雲の上の人だった。政治を変えなければと思ったが、市議にすらなれるとは思っていなかった」
「秘書になった当時、政治家になろうとか、なれるとかは思っていなかった。ただ、この世の中は、社会は、政治が動かしているんじゃないかと思った。そこに身を置いてみたいと。俺の育った所は出稼ぎの村だった。出稼ぎで家族が離ればなれになる。それが俺は嫌だった。そういう出稼ぎのある社会も結局、政治が動かしているんだと思った」
【注釈】菅は秋田県の農家の長男として生まれ高校を卒業後、上京し板橋区の段ボール工場で働く。政治とは無縁な環境であったが、横浜の小此木彦三郎衆議院議員の秘書になることで政治の世界に入った。まさか将来、自分が総理大臣になるとは夢にも思わなかっただろう
「後援会には気性の荒い横浜の港湾労働者らがいてさ。俺は酒を飲めないが、そうもいかず、飲んでは吐いてを繰り返している」
【注釈】菅が小此木彦三郎衆議院議員の秘書になったのが26歳の時。同級生にこのように語った。地盤・看板・鞄なしで政治の世界に飛び込んだ菅の苦労がうかがえる
「国のため党のため、断固出馬すべきです。先生以外にいません」
【注釈】菅は1年生議員の時にこのように総裁選出馬を渋る梶山静六を口説いた
「立たなきゃ評論家じゃないですか。政治家は評論家じゃありません」
【注釈】菅は1年生議員の時にこのように総裁選出馬を渋る梶山静六を口説いた
「総裁選挙とはどういう戦いなのか、そこを一期生の自分がつぶさに見ることができた。総裁選という、日本の最高権力者を決める選挙で、一期生には絶対に回ってこない仕事をやらせてもらえた」
【注釈】菅は当選一回生でありながら、梶山選対の事務局次長を担った
「国民世論も梶山支持で、党内世論もそうだったんです。しかし『本音は梶山さんだけど、やっぱり小渕さんにやらせてあげてよ』という議員が結構いたんですね。勝ち馬に乗るというのかな。ああ、こんなふうに政治家は動くのかなというのを実感させられましたね」
「今週、私は自民党総裁選挙への立候補を表明しました。新型コロナウイルス、近年の想定外の自然災害等、かつてない難題が山積するなか、「政治の空白」は決して許されません。私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります。 国の基本は「自助・共助・公助」です。人と人との絆を大切にし、地方の活性化、人口減少、少子高齢化等の課題を克服していくことが、日本の活力につながるものと確信します」
【注釈】フェイスブックの投稿(2020年9月5日)
【出典一覧】
『菅義偉フェイスブック』
『影の権力者 内閣官房長官義偉』松田賢弥
【感想・論評・補足】
久しぶりに自民党で叩き上げの政治家が総理大臣になった。代議士の秘書になった時も、県議にも市議にもなろうとも、なれるとも思わなかったという。それが日本の最高権力者、総理大臣に登り詰めたのだから運命というものは分らないものだ
経歴(プロフィール)
■菅義偉(すが・よしひで)
日本の政治家。内閣総理大臣。内閣官房長官。総務大臣。横浜市議(2期)。1948年12月6日、秋田県のいちご農家の長男として生まれる