名言・語録・格言

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服部兼三郎

服部兼三郎の名言・語録1
(名古屋財界の雄)

 


「私の不徳により会社を苦境に陥れる結果を招き誠に申し訳ない。この責任はすべて自分にあるので、このような形(注・自決)で責任を取らせてもらう。私の最期の願いは、どんな形でもよいから会社が存続、発展することにある。私名義の株券、私有財産のすべては会社に提供する。ただ私名義の30万円の生命保険があるので、願わくばその半額を家族に渡してもらいたい・・・」

 【注釈】服部兼三郎の遺書。服部が自決した時点での収支は後に分かるのだが、完全な黒字であった。売掛金約5百万円に対して負債は4百万円。資金回収さえ出来ていれば何も問題はなかった。遺書には支配人だった三輪常次郎が「今後の万事をしかるべく処理すること」と書かれてあった。三輪は会社を見事に再建しより発展させる。それが現在の興和株式会社である

 


【出典】
『商魂石田退三・土光敏夫松下幸之助に学ぶ』池田政次郎(著)

 


【感想・論評・補足】
名古屋財界の雄に登り詰めた服部兼三郎であったが、50の若さで会社を苦境に陥れた責任をとり自決した。この服部兼三郎の元で働き、服部を生涯師と仰いだ人物にトヨタ中興の祖となる、石田退三がいる

 


経歴(プロフィール)
■服部兼三郎(はっとり・かねさぶろう)
【1870年~1920年】日本の実業家。中京財界の雄。明治3年に丹羽郡北野村(現・江南市)で生まれた。明治27年、服部兼三郎商店を創業。外国綿花を安価に仕入れ、大陸に目がけて綿紡を輸出することで飛躍。大正元年、株式会社服部商店を設立