土光登美
土光登美の名言・語録2件
(橘女学校創設者)
「余生を念願の女子教育に賭ける」
「戦争はいつ果てるかもしれないし、男はそのことで手一杯。ならば今、私たち女性がしっかりせぬことには国が滅びかねない。一人でも多くの立派な女子を育て、その人たちが母親となって、さらに立派な子弟を育成する。私はもう死んだつもりでいるので、どうせなら今この場で、『香典』をいただきたい」
【注釈】土光登美が橘女学校を創設したのは、戦時中の昭和17年4月。前年に夫の菊次郎を亡くした登美は「余生を念願の女子教育に賭ける」と一念奮起。親類や友達の間を駆け回って資金を集めた。その時の殺し文句がこれである
【出典】
『商魂石田退三・土光敏夫・松下幸之助に学ぶ』池田政次郎(著)
【感想・論評・補足】
財界の荒法師と呼ばれた土光敏夫(石川島播磨重工業社長、東芝社長、経団連第4代会長などを歴任)の母親が土光登美である。女傑(じょけつ)と呼ぶに相応しい女性といえるが、この母にしてこの息子(土光敏夫)ありといえる
経歴(プロフィール)
■土光登美(どこう・とみ)
【1871年~1945年】日本の教育者。橘女学校(現・橘学苑中学・高校)の創設者。明治4年8月8日生まれ。岡山県出身