安藤百福 名言・語録39件
(日清食品創業者)
「食の仕事は聖職です」
「汗を流す仕事にバブルはない」
「麺は世界の食文化を映す鏡である」
「私は『食』を自分の天職と考えている」
「私は料理のでき上がりを見れば、およその調理法は察しがつく」
「食べられないものを食べられるようにするのが料理というものである」
「味に国境はない。しかし、風土、文化の違いを知らなければ、国境は越えられない。その伝統の味に同化していく努力が必要だ」
「発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない」
「発明したと思っても、世界では同じことを考えている人が3人いる」
「一つ一つ試みては捨てていく。開発とは、これでもかこれでもかと追及する作業である」
「私は眠るときも、メモと鉛筆を枕元に用意する。あなた方も四六時中、考える習慣をつけなさい」
「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い」
「人間その気になれば、一日で一ヶ月分の仕事ができる」
「明日になれば、今日の非常識は常識になっている」
「開発のリーダーに必要なのは、安易に妥協しない頑固さである」
「人間は食べていかないと何もできない。空腹が満たされてはじめて、音楽や絵画や文学を楽しむことができる」
「社員はもとより、社会全体がトップの姿勢を見ている。社長の座は十字架を背負っているようなものだ」
「社長とは権力ではない。責任の所在を示している」
「苦言に耳をかさない経営者は、必ず会社に危機を招く」
「真のリーダーの資格は、人としての徳を持っているかどうかだ」
「経営者にとって役に立つのは、耳障りな直言である」
「社員が目先の目標に邁進しているからこそ、社長はその一歩先を考えねばならない」
「経営者の落とし穴は賛辞の中にある。偉くなればなるほど身の回りに甘い言葉が集まり、英雄的気分にひたっていると必ずつまずく」
「即席めんの発想にたどりつくには、48年間の人生が必要だった。過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に、見えない糸でつながっている」
「私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも、新たな挑戦はある」
「私の人生は波乱の連続だった。成功の喜びに浸るまもなく、何度も失意の底に突き落とされた。しかし、苦しいときの経験がいざというときに常識を超える力を発揮させてくれた」
「私は無一文になったとき、『失ったのは財産だけではないか、その分だけ経験が血や肉となって身についた』と考えた。すると、新たな勇気が湧いてきた」
「企業という言葉は創造と同意語である。新しいものを世の中に提供していく力がなければ企業である資格がない」
「独創性のない商品は競争に巻き込まれ、労多くして益は少ない」
「安売り合戦はくたびれもうけ。革新的商品だけがすべての人々に利益をもたらす」
「衝撃的な商品は必ず売れる。それ自身がルートを開いていくからだ」
「人のやっていないことをやると実りが大きい。やれそうもないことを成し遂げるのが仕事というものである」
「魚のいないところで糸を垂らしていても何も釣れない」
「芽の出ないところに水と肥料を与え続けてもむだである」
「芽の出る仕事は、3ヶ月か長くて半年もすればわかる。芽の出ないところに水と肥料を与え続けても仕方がない」
「宣伝、PRはマスコミだけが手段ではない。工場、本社、なんでも利用できる」
「事業を始めるとき、金儲けをしようという気持はなかった。何か世の中を明るくする仕事はないかと、そればかり考えていた」
「人には必ず得手、不得手、向き、不向きがある。だから助け合うことでよい結果が得られる」
「毎日、お米だけを食べていては病気になる。肉を食べ続けても病気になる。即席めんとて例外ではない。バランスのとれた食生活が、人間にとって一番大切なのである」
【出典一覧】
『食欲礼賛』
『苦境からの脱出』
【感想・論評・補足】
安藤が事業に失敗し全財産を失ったのが48歳の時。そこから再起をはかり、即席めんの開発に成功。短期間で、世界中で消費される食品となった。安藤は60歳、70歳からでも新たな挑戦はあると語る。何とも勇気づけられる言葉である
経歴(プロフィール)
■安藤百福(あんどう・ももふく)
【1910年~2007年】日本の実業家。インスタントラーメン「チキンラーメン」、カップ麺「カップヌードル」の開発者として知られる。日清食品株式会社の創業者