湯沢利彦
湯沢利彦 名言・語録2件
(プロレス美術館館長)
「コレクションルームを設けるつもりが『プロレス美術館』としたのは、悪役の魅力を伝え、この空間で昭和のプロレスの美しさを表現したいと考えたからだ」
「美術館を名乗ることで、僕の人生は変わった。資料を寄贈してくれる方も多く、『館長』としてそれを守る責任を感じている」
【出典】
『日経新聞「文化」2019年9月10日』
【感想・論評・補足】
1974年6月26日。湯沢は9歳の時に一人で、大阪で行われた猪木VSシンの試合を見に行く。猪木がシンの腕を折ってしまったあの試合である。以来、各地の試合会場に通う日々が続き、ミル・マスカラスのマスクを手に入れた中学生の頃からコレククションを意識。シンのターバン、アブドーラ・ザ・ブッチャーの凶器のフォーク、五寸くぎブラシ、猪木の書き初めなど、手紙ものも合わせれば、現在では万単位の点数にものぼる資料があり、京都の自宅を『プロレス美術館』として公開している。湯沢はテレビ出演もするし、番組で有吉弘行、生野陽子、高田延彦、井森美幸らが美術館に来たこともある。まさにプロレス美術館と名乗ることが運命を変えたといえよう
経歴(プロフィール)
■湯沢利彦(ゆざわ・としひこ)