島津斉彬
「独立を守るためには、軍艦や大砲が必要不可欠である。しかし、軍艦と大砲だけでは国は守れない。軍艦や大砲よりも大切なのは、国民みんなが力を合わせ、気持ちを一つにすることだ。そのためには、人々の生活が豊かでなければならない。国中(くにじゅう)の者が豊かに暮らすことができれば、人は自然とまとまる。人の和はどんな城郭(じょうかく)にも勝る」
【出典】
『子どもの心に光を灯す 日本の偉人の物語』白駒妃登美
【感想・論評・補足】
薩摩藩11代藩主の島津斉彬は幕末、軍需力を増強しただけではない。薩摩切子(きりこ)と呼ばれる美しいガラス製品や薩摩焼に代表される陶器、紡績、製薬、印刷、電信、写真、食品、ガス灯の実験などを行い、庶民の生活を潤すことを手がけた。生活が豊かでなければ気持を一つにすることが出来ないからだ。国は敵国から侵略されて滅ぶのではなく、内部が崩壊して滅ぶと言われる。政党もしかり。企業もしかり。内部から崩壊して滅ぶケースが多い。また外交力は国をまとめる力に等しいともいえる。幕末のあの時代にそのことを認識し、実行した斉彬の見識の高さには恐れ入る。幕末きっての名君といえよう
経歴(プロフィール)
■島津斉彬(しまづ・なりあきら)
【1809年~1858年】
江戸時代後期から幕末の大名。薩摩藩11代藩主。島津氏28代当主。今和泉島津家出身で斉彬の養女・天璋院は江戸幕府13代将軍・ 徳川家定の正室。 薩摩藩による富国強兵や殖産興業に着手し国政改革にも貢献した幕末の名君である