名言・語録・格言

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加藤馨

加藤馨の名言・語録5
ケーズデンキ創業者)

 


「私は商売を始めて62年以上になりますが、一番大切なのは信用なんです。その信用を得るためには親切と愛情です」

 


「他言してはいけないから誰にも言いませんでしたが、ノモハン事件は日本軍の大敗です。日本軍は(戦死傷者が)2万人、やられたんです。全然勝ち目がなかった。というのもソ連軍の装備が日本軍と全然違って、最新鋭だったからです。たとえば、戦車でも装甲が厚くて、日本軍が戦車を攻撃する速射砲の弾丸では、あたっても凹むぐらいでした。ソ連の戦車がまいらないから、(日本軍は)戦いようがないわけです。それで(日本軍は)撤収し、ソ連とモンゴルの軍隊も満州国に攻め込まなかったから助かった」

【注釈】加藤は暗号班長として師団から送られてくる電報を解読していたので、戦況の実態をよく知っていた

 


ソ連の戦車に対抗するため、うちの連隊でも演習の仕方が変わったんですよ。要するに地雷を持って日本兵が小さなタコツボ(塹壕)に隠れて、ソ連の戦車が傍まで来たら地雷をキャタピラにぶつけるというものです。成功すれば、キャタピラが壊れるのでソ連の戦車が走れなくなる、そういう作戦に出たんです。それ以外に、当時の日本軍にはソ連の戦車と戦う方法がなかったんです。でもね、地雷を投げる兵隊は、よほどうまく行かなければ死んでしまいます。そんなバカなことがあったんですよ。その頃から、日本の軍隊は人命の軽視が甚だしいと思いましたね」

 


「『(昭和18年頃は)一般国民は大本営がいい加減な発表をするから、(太平洋戦争が)負け戦だとは思っていませんでしたが、(日本軍が)第一戦で勝ったことはなかったですよ。私が居たときも、今日は飛行機が30機出て、18機しか帰ってこないとか。だいたい出撃しても、半分近くはやられていました』 

 


「(太平洋戦争は)最初のうちは日本軍が有利で、アメリカ軍などが油断している時は勝っているけど、正攻法では勝ったことがない。私のところの電報で、それが分かる。ガダルカナルの戦いも(同じで)、帰国した曹長から話を聞きましたが、それはひどいものでした。敵と戦おうにも、敵が見えないというんです。艦砲射撃や空爆などで爆弾が雨のように降ってくるため、米兵の姿が見えなかったと」

 


【出典】
『戦争体験と経営者』立石泰則(著)

 


【感想・論評・補足】
加藤は戦場で敵と交戦した経験は少ないものの、日々受け取る暗号電報から正しい戦況を知り得ていた。あまり戦争を語ってくれない戦争体験者は多いが、加藤の体験談は歴史の貴重な証言といえる。証言を引き出した立石泰則氏は流石、一流のジャーナリストである

 


経歴(プロフィール)
■加藤馨(かとう・かおる)
【1917年~2016年】日本の実業家。株式会社ケーズホールディングス創業者。大日本帝国陸軍に入り、陸軍航空士官学校を経て、陸軍航空通信学校で教官を務めた