森田健司
森田健司 名言・語録9件
(思想史学者)
「石門心学の始まったのは、1729年のことでした。これは、石田梅岩が、京都の自宅で講義を始めた年です」
「彼は精力的に講義を行い、数多くの門下生を育てましたが、活動範囲はほぼ京都と大坂に限られていました。彼の歿後、心学の教義は整理、体系化され、一気に全国に広がります。それは文字通り、爆発的と表現すべき広がり方でした」
「江戸後期には、日本のあらゆる地域に住む、あらゆる階級の人々が、直接的、間接的に心学の影響を受けたといってもまったく大袈裟ではありません」
「階級を問わない心学だからこそ、堵庵の弟子である中沢道二(なかざわどうに)(1725~1803年)が積極的に出張講義をしていた時代には、大名までもが心学に入門してきました。階級社会であった江戸時代に、このようなことが起こっていたのです」
「しかも、門下生となった大名の数が、また驚異的でした。石川謙の調査によれば、道二、及び彼の高弟、関口保宣(せきぐちほせん)(1755~1830年)と大島有隣(おおしまうりん)(1755~1836年)の3名によって心学の手引きを受けた大名は、51藩の64名に上がったということです」
「石川はまた、心学講舎に関する詳細な調査を行い、それによって、江戸時代の終わりまでに、45ヶ国に173舎の講舎が創設されたことがわかりました。心学は、まさしく全国に広がったのです。」
「私は、梅岩の名が、現在の経済学や経営学の教科書に載っていないことは間違いである、とまでは思っていません。しかし、梅岩の思想を抜きにして、日本の経済や日本企業の基礎力を理解することができないことは、声高に主張したいと思っています」
「それどころか、日本が近代化に素早く対応できた理由も、第2次大戦後に奇跡の復活を遂げたわけも、梅岩を知らずにいては、決してわからないと考えています」
「松下が石門心学に影響を受けたという事実を、私はまったく知りません。おそらく、梅岩の書を直接読んだことはないように思われます」
【注釈】その通り。松下幸之助が石田梅岩の著書を読んだり、石門心学を学んだという事実はない
【出典】
『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』
【感想・論評・補足】
渡部昇一(上智大学名誉教授)は著書『繁栄の哲学を貫いた巨人 松下幸之助』の中で、『日本には世界的な思想家がいないと言われるが、私は世界的にユニークな哲学者としては、石田梅岩の心学と松下幸之助のPHPがあると思っている』と述べている。また森田も『梅岩の思想を抜きにして、日本の経済や日本企業の基礎力を理解することができない』と力説する。しかし、そのわりに石田梅岩は今の日本では知名度が低く、馴染みがないといえる。その理由の一つに石田梅岩の主な著書に『都鄙問答』『倹約斉家論』があるが、昔の言葉で書かれていて難解だからであろう。その点、森田の著書『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』では、分かりやすく現代語訳してくれているので非常に有り難い
経歴(プロフィール)
■森田健司(もりた・けんじ)