カッテンディーケ 名言・語録5件
(オランダの海軍軍人)
「日本では誰でもその想像に委せて、神様を造ることが自由にできる。宗教上、信者相互の寛容が非常に大きいのもこうした結果であって、一神社内に、往々異なった色々の神が、互いに隣り合って祭られてあったりする」
「従って私は、もし日本人が、歴史上キリスト教徒のことについて、何も知らないならば、彼等は平気で日本の神様の傍にキリストの像を祭ったであろうと信ずる」
「出島商館の古文書の中に、政府は昔からオランダ人には、散歩の途次の休息のため或は信心のために日本の神社に参詣することを許したという記録がある。人は何と言おうが、とにかく日本人ほど寛容心の大きな国民は何処にもない」
「日本では商人は、農工に従事する人々の下に置かれているのは事実である。さればとて、彼等が軽蔑されていると見るのは誤りである。現に幕府自身が商人であるのに、どうして商人が軽蔑されるだろうか。オランダ人が200年以上に及ぶ長い間、取引きを営んできた相手は、そもそも誰か、それは外ならぬ幕府自身ではないか」
【注釈】江戸時代は士農工商の身分制度(※最近は身分の違いではなかったという説もある)があり、商人は一番下とされたが、オランダ人から見ると、江戸幕府自身が商人の親玉みたいなものと見ていたのは、何とも愉快だ
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。江戸城内には多数の人間がいるが、彼等は皆静粛を旨とし、城内は森閑としている。これはヨーロッパの宮廷にて見かける雑踏の騒音とは、まさに対蹠的な印象を受ける」
【注釈】日本の質素で簡素な美意識、『侘び寂び』が外国人の目にもはっきり認識されていたことがわかる証言である
【出典】
『長崎海軍伝習所の日々』
【感想・論評・補足】
オランダの軍人、カッテンディーケは1857年(安政3年)に来日し幕府が開いた長崎海軍伝習所の教官に就任。勝海舟、榎本武揚などの幕臣に、航海術・砲術・測量術など近代海軍教育を行った人物である。日本滞在時の回想録『長崎海軍伝習所の日々』を読むと幕末の頃の日本が外国人にどのように見られていたかが克明に分かり面白い。第1級の歴史資料といえよう
経歴(プロフィール)
■ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ
【1816年~1866年】オランダの海軍軍人、政治家、オランダ海軍大臣。勝海舟、榎本武揚などの幕臣に、航海術・砲術・測量術など近代海軍教育を精力的に行った