鈴木宗男 名言・語録9件
(政治家)
「私は、北方四島返還の実現に向けて不断の努力をつづけてきた。つねに国益を考え、日本政府の基本方針に従い、信念を持って行動してきた。いま振り返っても、非難されるべきことはないと思う」
「橋本内閣で外交が官邸主導になりましたが、それまでの内閣は明らかに外務官僚主導でした」
「宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山・・・歴代の内閣は外務省任せだった」
「橋本内閣で変わったのは、ひさしぶりに自民党の本格政権が誕生したという側面が大きかった。これで政治家はとても動きやすくなりました」
「農業、水産、林業、すべてを含めた日米構造協議がはじまり、規制緩和や国際入札の波が押し寄せ、コメの自由化やオレンジの自由化など、国民生活に直結する問題はすべて外交で決まるといっていい」
「外交は50対50、5分と5分なんです。そのなかでいかにして『実』を取っていくかが重要なポイントなんです」
「1991年、私が外務政務次官のときに『ビザなし交流協定』ができました。協定終結5周年が1995年で、そのときはじめて国会議員も島を渡っていいということになった。私はその第一号でした」
「歴史的な日本の領土ということであれば、千島と南樺太も入ります。それらの領土は、なにも日本が侵略によって奪い取った土地ではないからです。しかし、先の大戦で負けてしまったことによって、サンフランシスコ平和条約第2条C項で千島と南樺太を放棄した。この条約は国会でも批准されています。国際的な約束をしているということです」
「霞ヶ関の中央官庁で実質的な政策を決めるのは課長ですからね。課長補佐くらいから付き合いはじめることが重要です。課長補佐としての仕事振りを見ていると、その人間が将来どれくらいのものになるかがわかります」
※出典『北方領土特命交渉』
【感想・論評・補足】
鈴木宗男は橋本内閣、小渕内閣、森内閣から特命をうけて北方領土交渉を行ってきた。北方領土に最も熱心な政治家といっていいだろう
経歴(プロフィール)
■鈴木宗男(すずき・むねお)
日本の政治家。衆議院議員。新党大地代表。北海道開発庁長官や沖縄開発庁長官、内閣官房副長官などを歴任。1948年1月31日生まれ。北海道出身